九州の巨石文化⑵

縄文の巨石文化を引き継ぐ豊後の巨石文化・北九州は弥生文化の始まり朝鮮式墳墓
後で詳しく述べるが、紀元前八世紀頃の中国では周王朝が弱体化し、後に春秋戦国時代をむかえ、多くの難民が生まれ各地に離散したという。そしてそれは陸続きの朝鮮半島にも影響はあったと考えられる。
その頃の朝鮮半島での巨石文化は北方式と南方式の二種類があり、北方式は平安南道を中心に半島の北半分に多く分布している。
特徴は四枚の板状石を立てて長方形の石室を作り、その上に大きな板状の上石をのせる構造で、机を連想させることからドルメン(石の机)の名が付けられた。
南方式支石墓は全羅南道を中心に半島の南半分に多く分布し、埋葬施設が地中にあり上石だけが露出しているが、それを大きく分けると支柱のある碁盤式(有支石南方式)と、地中に穴を掘りその上に上石をかぶせただけの、支石のない蓋石式(無支石南方式)の二つがある。
南方式支石墓は下部の構造が多様で板状石の石棺があったり、石槨(せっかく:石でつくった棺や副葬品を納める室)など構造が多様化している。人類学者の鳥居 龍蔵(1870年-1953年)氏は、朝鮮半島の支石墓が日本に伝わったと想定し九州各地を調べ歩いた。その後北九州各地から南方支石墓に似た墳墓が次々に発見され、発掘調査もされるようになった。

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