「君ひとりの問題じゃないよ」

生活弱者の問題を考えるとき、必ずと言っていいほどネックになるのが「自己責任論」です。
1990年代末に小渕恵三内閣のもとで開かれた「経済戦略会議」で、「バブル崩壊後、活力がなくなった日本経済を復活させるため、平等はやめ自己責任の社会にしよう」と宣言したもので、自己責任という言葉が一人歩きして久しい。貧乏になる自由もあるなどとうそぶく輩もいますが、エリート階級には、“貧しいのは本人の責任”、“努力しなかった本人が悪い”。と考える人がほとんどです。
生活が苦しくなり経済格差が固定化する理由のほとんどは、個人の怠惰や能力に帰するのではなく、政治や行政の無策にあります。
若い世代の賃金が実質的には目減りし、貧困化する人が増えているのは自己責任ではありません。それは大企業や富裕層のための意図的な失政と弱者を切り捨ててきた政策の結果なのです。
朝日新聞のネット配信のニュース(2019/07/01)で、以下のような記事を読んで驚いている。
………「僕が生きていけているので」若者に際立つ安倍政権支持
「深夜。東京・銀座のブランドショップ。華やかな服やカバンが並ぶ、客の消えたフロアに作業服を着た男たちが集まってきた。モップを構え、日が昇るまでに床や壁を磨き上げる。アルバイト代として支払われるのは、5時間で約7千円。朝方、スーツを着た人の波に逆らって、寮に戻る。バイトの同僚と2人部屋。コンビニやスーパーで買う弁当とビールが「唯一のぜいたく」だ。…中略…〇さん(36)は、そんな暮らしをして6年になる。地元・徳島市の高校を出て塗装業に。山口県の自動車工場でも働いたが、リーマン・ショックのあおりで雇い止めになり、東京へ出てきた。「自分は貧困層だと思う」と言う。東京五輪後にいまの仕事が減り、もしクビになれば「ホームレスかも」と不安が消えず、ハローワークにも通っている。
その〇さんの投票先は自民党だ。「この先どうなるかわからない。自民が引っ張っていれば、よくはならないけど悪くもならない」と言う。
「貧困」=「自己責任」とする考え方が広まっているようで、悲しいことです。
更に先述の例のように、生活弱者の中にも、自己責任論を受け入れる人たちがいます。

心理学用語に、アクティング・アウト(acting out)とアクティング・イン(acting in)という用語があります。アクティング・アウト(acting out)は、自分の中にある攻撃性が外に向かうことを指し、逆に、自分の内側に向けることをアクティング・インという。
アクティング・アウトは暴行や非行、犯罪などの逸脱行為で、いじめやハラスメントといった、自分の敵意や攻撃性を外側にあるターゲットに向けることです。
私の中学時代、常に学年のトップにいた友人がいた。一学年500人強のマンモス中学の生徒数のトップだから注目も集まる。
あるとき、彼はトップの座を失ったことがありずいぶんと落ち込んでいた。成績は9教科・900点満点にほぼ近く、トップとの差も2~3点でほとんど差はないと私は思ったのだが、そこは優等生と劣等生の違いなのだろう。優等生(勝者)は常に強い不安の中にある人たちなんだと感じた。
いい成績をとって帰れば、「次も必ずいい成績を」と期待され、競争は永遠に継続し、つねに勝ち続けなければならない。しかし次も100点をとれる保証はどこにもありません。「次もいい成績を」と親に言われ続けることで、子どもは不安感を強くするが、そんなことは他人に言わず自分の中にしまいこんでしまいます。
いじめも、引きこもりや自殺も病巣はひとつで、攻撃性の方向が自分に向くか他人に向けるかの違いにあるだけです。
人に弱みを見せるのは誰だってイヤなものです、自分の弱さや惨めさを認めることはもっとつらいもので、努力しなければと考える。だから弱者や被差別者同士だって、なかなか連帯できなくなってしまいます。それどころか、お互いの細かな差異をチェックして差別し合い、つながって連帯するのではなく、弱者は更に弱者を攻撃しようとするようになるのです。

いまは恵まれていたとしても、子どもが大学を出てもいい仕事に就けるとは限りません。また、あなたも必ず年を取ります。年を取り動けなくなったときにと蓄えたものが、インフレで目減りしたり、病気で老後の生活が危うくなるかもしれません。よほど大きな企業に定年まで勤めなければ、生活弱者に転落する可能性があります。だとしたら、生活弱者が生まれないような社会の方がいいし、仮に生活弱者になったとしても、最低限の生活ができたら将来に絶望せず、生活の立て直しも考えられますね。
格差の大きい社会は不健康な社会なのです。貧困に直面している人々だけでなく、それ以外の人びとにもさまざまな悪影響があります。
若者は「政治的な発言」を嫌います。また、年寄りにも生活弱者はたくさんいます。「個人的なことも政治的である」と私は考えています。個人が困難だと思って抱えている問題のほとんどは、社会関係のなかで生まれる問題なのです。私たちが「君ひとりの問題じゃないよ」と呼びかけることで連帯はでき、解決に近づけると思っています。これは過激な行動をすることでも、反社会的な行為でも、政治活動でもありません。連帯して普通に働けば生活できる世の中にしていきましょう。

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