サイト内検索

検索結果

(1 ~ 7 件目を表示)
徒然に

徒然に九州の巨石文化⑷
ajimu-g3 (2019/7/20 17:58:21)

縄文時代から江南人(倭人)が列島にやってきて、一部の地域で稲作も行われていたが、縄文時代から弥生時代への大転換は、紀元前5世紀に戦乱を原因とする倭人の渡来数が増え、列島全体に弥生文化が急速に広まったと推測できる。そして徐々に小国家群が成立して弥生時代に入っていった。 これは、紀元前473年に呉王夫差が越王勾践により滅ぼされ、難民が四散していったことに始まる。その後、紀元前334年に越王無彊は楚の威王に敗れ、紀元前223年に楚王負芻(ふすう)は秦始皇帝に敗れることになる。直接、あるいは朝鮮半島経由で...
徒然に九州の巨石文化⑶
ajimu-g3 (2019/7/12 15:15:17)
弥生時代の始りについては様々な説がある。 ウィキペディアによると、「2003年に国立歴史民俗博物館【以降ー(歴博)と表記】が、放射性炭素年代測定により行った弥生土器付着の炭化米の測定結果を発表し、弥生時代は紀元前10世紀に始まることを明らかにした。 当時、弥生時代は紀元前5世紀に始まるとされており、歴博の新見解はこの認識を約500年もさかのぼるものであった。当初歴博の新見解について研究者の間でも賛否両論があった。しかし、その後研究がすすめられた結果、この見解はおおむね妥当とされ、多くの研究者が弥...
徒然に「君ひとりの問題じゃないよ」
ajimu-g3 (2019/7/11 21:46:07)
生活弱者の問題を考えるとき、必ずと言っていいほどネックになるのが「自己責任論」です。 1990年代末に小渕恵三内閣のもとで開かれた「経済戦略会議」で、「バブル崩壊後、活力がなくなった日本経済を復活させるため、平等はやめ自己責任の社会にしよう」と宣言したもので、自己責任という言葉が一人歩きして久しい。貧乏になる自由もあるなどとうそぶく輩もいますが、エリート階級には、“貧しいのは本人の責任”、“努力しなかった本人が悪い”。と考える人がほとんどです。 生活が苦しくなり経済格差が固定化する理由のほとんど...
徒然に九州の巨石文化⑵
ajimu-g3 (2019/6/27 16:15:09)
縄文の巨石文化を引き継ぐ豊後の巨石文化・北九州は弥生文化の始まり朝鮮式墳墓 後で詳しく述べるが、紀元前八世紀頃の中国では周王朝が弱体化し、後に春秋戦国時代をむかえ、多くの難民が生まれ各地に離散したという。そしてそれは陸続きの朝鮮半島にも影響はあったと考えられる。 その頃の朝鮮半島での巨石文化は北方式と南方式の二種類があり、北方式は平安南道を中心に半島の北半分に多く分布している。 特徴は四枚の板状石を立てて長方形の石室を作り、その上に大きな板状の上石をのせる構造で、机を連想させることからドルメン...
徒然に九州の巨石文化⑴
ajimu-g3 (2019/6/24 19:58:30)
縄文晩期の豊の国は、縄文前期の信濃と長い年月と距離が離れている。 そのため豊の国では、円環の形の他にも、環状列石自体を山の上や尾根筋に造るなどして遺構の立地条件を変えたり、円環の内側に土を盛り上げた塚を設けたりして、 この土地で環状列石の形態と築造場所を独自に変化させていったのではないだろうか。このような現象は立石文化についても当てはまりそうな気がする。 つまり、縄文中期の飛騨古川から時間と空間が離れるほど、その本来の意味は忘れ去られ、立石文化を担った人々は幾つもの部族に分かれ、立石を直線状に並べた...
徒然に天照大神
ajimu-g3 (2019/6/19 15:32:32)
2019年四月一八日(木)の「ニュース7」と「ニュースウォッチ9」で、「天皇皇后両陛下は今月三〇日の天皇陛下の退位を前に皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました」という説明の後で、「内宮には皇室の祖先の天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています」という原稿が読み上げられて驚いた。 「天照大神」とは神話の中での話だったはずで、NHKは、それを皇室の「祖先」と断定、つまり事実だと認定したわけだ。日本神話に主神として登場する神であることは、小学生だって知っている。 それをあたかも実...
徒然に家船(えぶね)漁民
ajimu-g3 (2019/6/18 17:03:07)
船を住処としていた家船(えぶね)漁民という人々がいたのをご存知ですか。家船(えぶね)とは漂流漁民の総称で、漁をしながら物々交換で暮らしてきた彼らは独自の文化を持ち、入れ墨や抜歯の風習があったという。 家船(えぶね)漁民といえば、昭和三十年代までの別府で、持ち舟で寝泊まりしながら浜脇温泉や別府温泉に通う湯治の習慣が古くから見られ、春には波止場に係留される舟は100艘近くにのぼり、湯治舟とよばれて季語にもなるほどの別府の春の風物詩となっていた。 家船は、西九州及び瀬戸内海沿岸の港に存在し、入れ墨や女...

  

search(original)

用松Facebook

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失  |新規登録

アクセスカウンタ

今日 : 453453453
昨日 : 1548154815481548
総計 : 970232970232970232970232970232970232