投稿者 : ajimu-g3 投稿日時: 2019-06-21 17:17:23 (6 ヒット)

  宇佐市安心院町佐田には人間の背丈ほどの石を環状に並べた京石と呼ばれるメンヒル(巨石柱・立石)がある。縄文時代の日本のストーンサークルは関東から北海道に多く、縄文時代中期後半から後期にかけて作られている。

しかし、佐田の京石は発掘調査がされていないので詳細は解っていないが、縄文晩期~弥生前期のものだろうと推測される。
 日本の 考古学で、縄文遣跡の分布が東日本に片寄つているという謎について「 鬼界カル デラ」の大噴火が大きく関係しているとされている。
「鬼界カルデラ」とは、薩摩半島から約50km南の大隅海峡にあるカルデラで、過去何度も噴火し、そのなかで7300年前に起こった大きな噴火がある。
噴火規模は1991年6月3日雲仙普賢岳の約1,000倍で、火山灰は九州南部・東部、四国、本州瀬戸内海沿い、および和歌山県で20cm以上あり、広くは朝鮮半島南部や東北地方まで到達したという
この火砕流および火山灰により、鹿児島県の大隅半島・薩摩半島南部、屋久島に住む縄文人は、絶滅したと考えられています。また、九州の南半分や四国、紀伊半島南側に住む縄文人にも大きな影響を及ぼし、九州及び西日本では、1000年近くも人が住めない状態になったとされている。
鬼界カルデラ噴火が起きる以前には、南九州には縄文人達の最古の理想郷があったのではと考えられている。 そんな中でも、鹿児島湾に面した地域では、近年になって発掘調査が進み、縄文時代早期の「上野原遺跡」や「 加栗山遺跡」 、 さらに古い縄文時代草創期の「掃除山遺跡」など、当時の面影を伝える集落跡が次々と姿を現した。 特に、鹿児島湾北部の「上野原遺跡」では、竪穴住居跡五十二棟が発見され、その縄文理想郷の中心地のような印象も受け る 。 
縄文時代といえば東日本という印象が強かったのだが、東日本の縄文文化の繁栄は、 鬼界カルデラ噴火以後の事なので、これによって縄文文化の源流は南九州にあるようだ。 
ただ、日本の巨石文化も南九州で発生したかは、今のところ南九州 の縄文早期の遺跡から環状列石や立石遺構が出上したという報告は聞けず、鬼界カルデラ噴火の直撃を受けている地域であることから、未来の発掘調査で新しい発見が出る可能性があるが、日本の巨石文化のルーツは関東以北と暫定するしかない。

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